FC2ブログ
真っ赤な空を見ただろうか
その日にあった事を適当に綴っていこうと思う。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

あぁ 結婚してよかったなぁと思った瞬間

838 :素敵な旦那様 :2005/10/17(月) 20:00:30

仕事がうまくいかなくて悩んでたとき。
上司が俺のいない場で
「彼にはこの仕事は無理だったのかも知れない」
と発言したと聞いて、今まで自分なりにがんばってやってきたつもりだったのが
すべて否定されたような気がした。

何もかもイヤになって嫁に向かって
「会社辞めようかな」
とつぶやいた。そしたら
「ほんと?じゃ、旅行に行けるね!どこがいい?」
と脳天気な笑顔。

その笑顔を見たら急に力が抜けて、俺も笑ってしまった。
で、もう一度がんばってみるか、と思えるようになったし、
人から指摘されても直視するのを避けていた自分の欠点とも向き合えるようになった。
まだその仕事の問題は多少残っているけど、なんとかがんばってやっていく。

ああ、この女と結婚してよかったなあ、
と台所で嫁が歌ってる鼻歌聞きながらしみじみ思う。

a_01.gif

スポンサーサイト

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4

726 :1/2 :03/09/29 00:28 ID:+lpbx65Q

去年の春、弟が原因不明の病で入院した。

最初の病院では「一生治らない病気だ。」と言われたそうだ。
職場にいた私に父が電話をくれた。
電話の向こうでは泣いている母の声が聞こえた。
頭が真っ白になり、その後どうやって家まで帰り着いたのか覚えていない。

あきらめられなかった父は別の病院に弟を連れて行った。
前の病院からカルテを回してもらって即検査という運びになったのだが、
担当医がたまたま空いたベッドに弟をねじ込んでくれ、即日入院になった。
弟はそのころ体力的に限界状態になっていたらしく、通院は無理だったようだ。

私はその週末に弟の見舞いに行った。
入院したといっても病気の原因は分からず、毎日検査が続いていた。
入院前に自宅で2ヶ月以上寝込んでいたのだが、その頃と変わらず毎日高熱を出し、
顔も体もげっそりとやつれていた。
関節のいたるところに水がたまり、満足に歩くことも出来ない。
土気色の顔、ぶるぶると震える手。
食欲はまったくなく、苦しそうに横たわる弟がいた。

釣りとタバコとパチンコが好きな、私の知っている元気な弟の姿はそこにはなかった。

それでも苦しくてたまらないはずの弟は、私に心配をかけまいとして強がりを言っていた。






727 :2/2 :03/09/29 00:29 ID:+lpbx65Q

面会時間が終わり、両親と病室を出てから涙が止まらなくなった。

「代われるものなら代わってやりたい。」
なんていう台詞はお話の中だけのことだと思っていたが、
本当に代わってやりたかった。
なんで弟がこんな目にあわなきゃならんのか理解できなかった。



弟を永遠に失ってしまうんじゃないかと、怖くてたまらなかった。
その日実家に戻ると、テレビの上に釣り上げた魚をぶら下げた元気な弟の写真が飾ってあった。
母が、「また、この写真みたいに元気になれる日が来るのかな」と、ポツリとこぼした。

たまらなくなった。
二人で号泣した。
横で父も真っ赤な眼をしていた。



それから2ヵ月後、幸いにも弟は退院することができた。
病気は一生モノの特定疾患の一種だったが、最初の病院で言われたようなものではなかった。
いつ再発するかは不明だが、薬さえ飲んでいればとりあえず日常生活に支障はないらしい。
まだまだ安心できないながらもひとまずは落ち着き、自宅療養することになった。

その後、いろいろ忙しく実家には帰れなかった。
弟の経過が気がかりだったが、電話を入れることくらいしか出来ないまま時間がすぎてしまった。



今年の夏、実家に帰ると真っ黒に日焼けした弟がいた。
数日前に釣りに行ったと言い、どのくらいの魚を釣り上げたかを楽しそうに語っていた。
テレビの上にはまだ、あの写真が飾ってあった。それと弟を見比べ、心の底からホッとした。

横では母がうれしそうに笑っていた。
元気で生きているって、それだけでものすごく親孝行だと思った。

弟が元気になって、本当によかった。



a_01.gif



出会い初心者でも安心・簡単システム。ご近所検索機能付き。完全無料の安心サイト♪

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

(⊃д`) せつない想い出 その6 (´・ω・`)

314 :1/2 :04/11/25 23:52:37 ID:qQbafFez

俺には年の離れた兄貴が2人いた。
上の兄ちゃんは大人しいタイプで、下の兄ちゃんは活発で騒がしいタイプ。

俺が小学生の時には2人とももう中学生と高校生だったからか、2人とも俺をすげー可愛がってくれて(もちろんケンカもめちゃめちゃしたけど)宿題見てくれたりゲームとかプロレスとかの相手を真剣にしてくれたり、くだらない話とか面白い話、ちょっとエロい話とかまで教えてくれたり。
俺も兄貴2人のことが大好きだったし、自慢の兄貴たちでもあった。

でも俺が中学に上がってちょっと経った頃、下の兄ちゃんが無関係の事故に巻き込まれて死んだ。

俺も上の兄ちゃんも両親も当然辛くて悲しくてやりきれなくて、マジでどうしようもなかった。
それからようやくちょっと気持ちが落ち着き始めた頃に、俺は自分の友達から

「上の兄ちゃんがオタクで、しかもそのせいで兄ちゃんがクラスの奴とかからバカにされてるらしい」

って話を聞いた俺は最初「こいつ、俺の兄ちゃんのこと何悪く言ってんだよ!」と内心ですげーむかつきながら
「んなわけねーよ」って答えてたんだけど、結局それは事実だった。

兄ちゃんがアニメとか好きなのは知ってたけど、「オタク」とか言われるほどだとは思ってなかったのね俺。

で、俺は何かもうよくわかんないけど兄ちゃんがそういうオタクだったってことが恥ずかしいやら、兄ちゃんが他の奴らにバカにされてるってことが悔しいやら腹がたつやらで頭が混乱しちゃって、オタク発覚の何日か後に上の兄ちゃんと大ゲンカした。
ケンカっていうか、俺が一方的に自分勝手に兄ちゃんを責めるみたいな酷いもんだったけど。

で、そん中で俺は信じられないことに
「●●(下の兄貴)じゃなくておめーが死ねばよかったんだよ!」と怒鳴ってしまった。

もちろんそんなこと微塵も思ってないし、俺は自分が最低なこと言ったってこともすぐ自覚してハッとなったんだけど、その直後に部屋の前で止めに入るタイミングをうかがってたらしい親父がものすごい勢いで部屋に入ってきて、そんで有無を言わさず思いっきりぶん殴られた。

でも俺はもう頭に血がのぼりきってるのと今更引くに引けなくなってるのとで、自分が完全に悪いってわかってるし兄貴にも素直に謝りたいのに
「何すんだよクソ親父!」って怒鳴った。
兄貴は俺と親父の間に入って、俺を更に殴ろうとする親父を必死に宥めて抑えて、しかも泣きそうな顔で俺に
「ごめんな、ホントごめんな」って謝るんだよ。

俺はもう恥とかそういうの一切どうでもよくなってそのまんま大声で泣いた。
死んだ兄ちゃんのこととか色々思い出して、ほんとにどうにもならんぐらいに頭ん中ぐちゃぐちゃだった。
その時はいつのまにか俺だけじゃなく親父も兄貴も泣いてたし、駆けつけてきた母さんも泣いてた。

その後、謝る俺に兄ちゃんは「俺こそごめんなあ、こんな兄貴でかっこ悪いよなあ」つって申し訳無さそうに言った。
俺は、下の兄ちゃんは確かにかっこよかったけど、俺にとってはあんたも最高にかっこよくて大好きな兄ちゃんなんだよ、
とかって心底思ってたし言いたかったんだけど大泣きしてて「ごめんなさい」って言うのが精一杯だった。

今にして思うと兄貴がオタクだろうがそんなのどうでもよくて、ただ不条理に死んでしまった下の兄貴のことで八つ当たりする相手が誰でもいいから欲しかっただけなんだと思う。
本当に、どんだけ悔やんでも悔やみきれない。
だから尚更、俺はこの時のこと全部、自分が言ってしまったことも親父に殴られたことも兄貴を傷付けたこともずっと忘れない。


現在俺は大学生、兄貴はとっくに就職して実家にはたまにしか帰ってこられないけど、兄貴が帰ってくると俺はいつも兄貴と親父と3人で酒を飲む。
兄貴は親父よりも酒が強くてそこにちょっと憧れる俺。
なんだかんだ言っても兄ちゃんは今でも俺の自慢の兄ちゃんだし、大好きな兄ちゃんでもある。











テーマ:雑記 - ジャンル:日記

君が思い出になる前に。2

78 :ほんわか名無しさん :2005/08/18(木) 21:59:30

あなたのこと忘れちゃうことなんてありえないと思ってた。

でもやっぱり時間が流れてる限り、だんだんあなたが消えてきちゃった。

もう一度だけ、会いに来て欲しいな。






58 :ほんわか名無しさん :2005/08/17(水) 15:18:25

お前が死んでもう2年か・・・

お前は俺が生まれてくる前からここにいたんだもんな・・・
俺が始めて歩いたとき・・・お前もそばにいたんだよな・・・

人は動物をペットとか言ってかっているけど・・・
俺よりも早く生まれてこの家にいたお前は俺から見れば
ペットじゃなくて・・・兄さんなんだよな・・・

俺の母さんはまた犬を飼うとか言ってるけどお前のような
かしこい犬はいないよな。

お前が死んだ時、俺が中一だったよな。その日
俺学校でみんなの前で号泣したんだよな・・・絶対泣かないって思ってたのに・・・
もし天国とかがあるんなら・・・また会おうな・・・兄さん・・・





a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

悲しくて切なくて寂しい時泣きにくるスレ

62 :癒されたい名無しさん :05/01/02 04:26:29 ID:96w0wMDO

神様がもし居るとしたら一つだけ願いを叶えて欲しい
お婆ちゃんの寿命をもっともっと延ばして

春位に倒れてお医者さんは3ヵ月の命だって言った。
なんて事言ってくれたんだよ。
長期の休みに入る度に貯めたバイト代で新幹線に乗って会いに行った。
でも今回は帰れない。
夏休みに帰った時に正月に何か送ってやるからって言ってくれたお婆ちゃん。
何も要らないよ。
点滴して殆ど寝てる状態になったお婆ちゃんが治ればそれでいいよ
一緒に買い物行った時、凄くゆっくり歩くようになったんだなって思った。
前より小さくなったように感じた

お婆ちゃん、また春休みに必ず会いに行くから一緒に買い物行こう
もう年明けたね。今年もまた長期休暇の度に会いに行くからね
薬もちゃんと飲んで、あんまり無理しないでね
見た目も何もかも悪い孫だけど、会いに行く度に嬉しそうに友達に自慢してくれるのが凄い嬉しいよ

もう3ヵ月以上経ったね。
お婆ちゃんはいつでも元気なお婆ちゃんで居てほしいよ
お医者さんの言った事なんて信じないから
ずっと元気でいてね





a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

「世の中まだまだ捨てたモンじゃ無いな!!」と思った事

172 :おさかなくわえた名無しさん :03/04/21 05:52 ID:7yETHetX

10年以上前、俺が喘息で苦しんでいた学生時代のこと。

自宅で発作に襲われ、運悪く薬を切らしていたので病院に行くことに。
通常なら病院まで自転車で2分くらいなので、発作による呼吸困難をこらえて
こぎ出したのだけど、もうちょっとで病院が見えるというところまできて、
息が詰まって動けなくなってしまった。
酸素不足で、頭のなかはもう真っ白。
死ぬかもしれない。
でも、死んだほうが楽、ってくらいの苦しみ。

そこへ通りがかった30歳前後の男性が、
俺の様子をみてただなぬ気配を感じたらしく、声をかけてくれた。
俺が息もたえだえに病院の名を告げると男性はなんと背中を貸してくれた。
俺をおぶって病院まで運んでくれた男性は、すぐに引き返すと、
今度は停めてあった俺の自転車を病院まで届けてくれた。

あの時、息が苦しくてうまくお礼が言えなかったけど、涙がでるほど嬉しかった。
大げさだけど、神をみたような気がした。
ずっと忘れていたんだけど、このスレをみて記憶が甦った。
似たような状況に遭遇したとして、自分に同じことができるだろうか。
いや、やらなくちゃって思う。





a_01.gif

テーマ:高校生日記 - ジャンル:日記

【おとん&おかん】親孝行しよう!【ありがとう】

154 :774号室の住人さん :04/12/01 23:27:09 ID:XYhzBT+H

大学は地方の私大へ行った。

中学高校と成績は中の中から中の下あたり。
進路を決める時にこのままじゃあいかんなと思い、環境を変える意味でも一人暮らしの出来る地方大へ進む事にした。
うちの家は決して貧乏ではないと思うが、蓄えが殆ど無かったと思う。
両親共働きで使い切りの生活。実のところはどうなってるかは知らない。
ただ、漠然とそんな雰囲気を感じていたので、生活費はバイトするから何とか行かせてと頼んだと思う。

華の一人暮らしが待ってるとか期待したけどそんなに変わるもんじゃなかった。
親がやっていてくれた事を自分でやるだけの事。
普段の生活は実家暮らしと殆ど変化が無かった。

一人暮らしにも慣れ、その町にも慣れ、友達もできたけど、初めに約束したバイトはあんまりしなかった。
時給が安いだの、学校が忙しいだの言い訳をしてきた。
実際、頑張ろうと思えば全然時間は作れたと思うが、学生故なのか自分の性格がそうなのか努力をしようとは思わなかった。

こんな生活を過ごして3年の冬。
就職か進学か進路を決めなくてはいけない時期がきたけど、まだ働きたくないだけの理由で院へ行きたいと親に言った。
当然、そんなお金がどこにあるんだ?とか言われたけど、何とかなると思ってた。

3年の終わりの春休みの事。
実家に帰って最寄の駅まで母親に車で迎えに来てもらった。
車の中で何気なく父と母の出会いについて聞いた。

少し間があっただろうか。ぽつり、こんな事を言った。


「実はあんたの親父なー、・・・ほんまの親父やないねん」


自分の鼓動が早くなるのが分かった。然程興味が無いような振りして気の無い返事をしたと思う。
でも、それと同時に『やっぱりな』ってのを感じた。
今まで21年間、疑問に思ってたことが全て繋がった気がした。
抜け落ちたパズルが埋まるような感覚。

・・・弟と顔が全然似てないって言われ続けてた。
・・・パスポートの申請を自分でさせてくれなかった。
・・・赤ちゃんの時に父親と一緒に写った写真が無かった。

「ほんまはあんたが働き出してから言おうと思っててんけど、今ちょうど良い機会やから」と。

その後、父とは母が働く喫茶店で知り合って恋に落ちたこと(既にその時には俺がいたらしい)。
結婚を猛反対されたこと。
俺を連れて行くようになって段々と打ち解けていって、結果許してくれたらしい。
かわいそうと言う事で、本当は弟は作らない予定だった。
などの話を聞きながら家に帰った。

今まで、親なら子供を大学まで行かせるのなんて義務だろう、ぐらいな気持ちでいたけどそんなのは微塵も無くなった。
血の繋がらない俺の為に一生懸命働いてここまで育ててくれた事を思うと涙が止まらなかった。
それと同時に当たり前と思っていたことを、当たり前だと甘えて生きてきた事をすごく後悔した。


それから進路を就職に変えて就職活動を始めた。
今までサボってきた分、中々就職先を見つける事が出来なかったが、一生懸命努力し、そこそこ有名な企業へ就職することができた。

今は東京で暮らし、一人暮らしも8年が経とうとしている。
経済的に自立し、親に頼らずに生活している。

働いて初めてのボーナスの時は温泉旅行をプレゼントした。
弟の成人式のスーツは俺が買ってやった。
夏と正月には実家に帰るようにしている。
勿論彼女もうちの両親と仲良くなってもらいたいし、大切にしてもらいたいので一緒に連れて帰っている。

それで次は、2週間後にうちの弟が結婚するだー。
嫁さんは中学時代の同級生で元カノ。
実はその嫁さんには子供がいて、もう時期2歳になるのかな。
男の子ですごいカワイイんだ。


まったく俺と同じ境遇の子供。

今まで生きてきて幸せだったと思えるような家庭を築いてほしいと思う。
今の自分が思うように。

もしかしたら生まれてこなかったかもしれない。
父が俺を受け入れてくれなかったら今の自分は存在しなかったと思う。
そう思うと、親、弟、俺を愛してくれる人の為に全てを投げ打ってでも何かをしてあげたいと思ってる。
少なくとも本当に困った時、俺を必要とするその時の為に、その覚悟を胸に刻んで今を生きています。


おとん、おかん、ありがと。
俺はすごく幸せだよ。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

(⊃д`) せつない想い出 (´・ω・`)

65 :おさかなくわえた名無しさん :04/06/17 12:42 ID:mwa0p9VU

結婚して半年、母の日に実家と嫁ぎ先、2人のお母さんに花束を送った。
2人ともすごく喜んでくれて私もうれしかった。

もうすぐ父の日。

シャツにしようか、ベルトにしようかと、夫に聞いてみた。
「さあ…」と言っただけでずっとだまってテレビをみていた。
夫は赤ちゃんの頃に父を亡くしている。

うかれてた自分が嫌だった。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

たまにゃ家族で

472 :呑んべぇさん :2005/05/09(月) 22:54:28

ゴールデンウィークは、やっぱ実家が良いな
鰹のタタキは家で食うのが一番だ、酒のペースも違うな
かーちゃんは相変わらず子離れできないようだな、あんなに食えねーよ
髪が長いだけでキムタクだの何だの言うから、恥ずかしくてたまらんわ

妹は結婚して順調みたいだな、いよいよ姪も保育園に行くのか
姪に俺を「おっちゃん」なんて呼ばすなよ、老けちまうわ
あと、あんたはやっぱり酒に弱いな、
かーちゃん口説くのに酔わそうとして潰されたのは、
どうやら本当のようだな

そうそう、
会社では嫌々させられているゴルフだが、
オヤジとサシで久しぶりに行けて楽しかったよ、
意外とうまいんだな

「一緒にゴルフなんて、俺もすっかりオヤジだな」って言ったら
「何いってんだ、俺がいるうちはいつまでも子供なんだよ」とか言ってたな

だがな、
狭心症だなんて早く言えよ、
ゴルフなんて大丈夫だったのか?
その胸にニトロ抱えてまで、嬉しそうに炎天下の中を歩き回るなんて
いい歳こいてバカやってんなよ!
俺が就職してから何度か倒れたんだってな、
3年ぶりに会って煙草を吸ってなかったから俺がかーちゃんに聞いたんだよ、
「心配だ」って泣いてたぞ?
しかも「あいつには黙ってろ」って何を言ってんだよ!

なぁオヤジ、
子供二人の手が離れて気を抜いてるのか?俺が就職した日に
「いつか、みんなで一緒に住めるでかい家を建てような」
って言ったよな?
俺の稼ぎじゃまだ先の話みたいだから、
もう少し子供でいさせてくれよ、
頼む、お願いだ


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

嗚咽

605 :大人の名無しさん :2005/10/04(火) 02:02:31 ID:UReCyXhJ

頑固で、古くて、厳しい父。
そんな父を疎ましく思い、避けて過ごした長い長い日々。

父の余命を宣告されてから、一緒に過ごした半年。
父の隣にいるだけで、なんて心が落ち着くんだろう。
父の隣にいるだけで、やさしい気持ちに包まれている気がした。

痛みや苦しみを一言も言わず、父は昏睡に陥る前、その姿を写真に残させた。

父からの最後の教訓。

ふと、今言わなければいけないと思い、昏睡状態の父に
「産んでくれて、育ててくれてありがとう」と言った。
直後、父は静かに目を閉じ旅立った。

父が亡くなってからわかった。
こんなにもお父さん子だった事を。
厳しかったのは、子供達を愛してくれてたからなんだね。
父を理解し過ごした日々が、あまりにも短く悔いる。




a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

涙が出るほどいい話

303 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/07/13 19:00 ID:rnGcd6vN

私にはお姉ちゃんがいます。
勉強教えてっていっても『お前みたいなばかに教えたって無駄やし』とか言われてました。
喧嘩したら本気でたたいてきたし。
お母さんやお父さんには上手く嘘をついてたし・・・。
話しかけたら『うっさぃ。あほ。しゃべりかけんな。きもいんじゃ』って言われました。
家族で旅行にいくときも、サナ(私)が行くなら行かない。とか言ったり。。


そんなお姉ちゃんは今年の冬病気で死んでしまいました。
家族はもうお姉ちゃんはあとちょっとしか生きられないことわかってました。
もちろん私もです。
死んでしまったときは、これでもういじめられなくなる。と思ってちょっと安心しました。

でも・・・姉のお葬式が終わったあと母にこんな話を聞きました。
それは去年のあたしの誕生日、母と姉が夜二人でいたとき。
姉『お母さん。私を産んでくれてありがとう。とっても感謝してるよ』
母『真美・・』
姉『でもね。サナを産んでくれたことにはもっと感謝してるよ』
あの姉がこんなことを言ったんです。あんなに私のこといじめてたのに・・

そしてその後母は姉が私に書いた手紙をくれました。
サナへ
今までごめんね。私は沙菜がいつも羨ましかった。
サナはこれから生きていけるし、私は自分の病気を知ってからサナに優しくすることが出来なくなりました。
ごめんね。
こんなお姉ちゃんでごめんね。サナはお姉ちゃんの誇りです。
こんなお姉ちゃんなのにいつも笑って喋りかけてくれたし。
サナの笑顔を見るたびに死にたくないっておもったよ。
ありがとう。本当にごめんなさい。


手紙にはそう書いてありました。病気や薬のせいで手も満足に動かせなかったのに・・
字は震えてて、ぐちゃぐちゃで、手紙を読み終わるのに2時間もかかったよ。

お姉ちゃん。私が風邪ひいたときはすっごく優しかった。
お姉ちゃん。私が本気でお姉ちゃんの言葉に傷ついたときはすぐに気づいてあやまってくれた。

ごめんね・・ごめんね・・ごめんね・・
こんな妹が産まれてきてごめんね
もっとお姉ちゃんのこと考えればよかった。
お姉ちゃんが死んじゃったとき安心なんかしてごめんね

お願い。お姉ちゃん。生き返ってよ?
私謝るから、お姉ちゃんも謝ってよ。
お姉ちゃんの耳で聞いて
お姉ちゃんの声で言って

お姉ちゃんの分まで生きるよ?生きるけど。。
悲しくて悲しくてしょうがないよ。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

('A`)カーチャン・・・

227 :Mr.名無しさん :04/09/08 23:49

カーチャン、なかなか親孝行できなくてゴメンな。
本当は家事を手伝ったり、
「カーチャンの作る飯が一番ンマイよ!」と言ったり
孫の顔を見せたりしたいんだが・・・

金銭的な孝行だけで(しかもそれも少ない)スマソ。
大学生の弟が居るんだが、もうじき学費の振込だ。
なけなしの貯金20マソだが、足しにしてくれ・・・

本当はマッサージチェアを買ってやりたかった。40マソはする奴な…ムリポorz






228 :Mr.名無しさん :04/09/09 01:01

>>227
40万が無いなら、お前の両手があるだろ。
その手は飾りか?

カアチャン喜ぶぞ。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

(⊃д`) せつない想い出 その6 (´・ω・`)

989 :おさかなくわえた名無しさん :05/01/31 04:02:22 ID:eq0j7wXc

もうかれこれ10年前、高校生のとき。
一緒に住んでいた祖父が、小銭入れに50円玉ばっかり集めたのを私にくれた。
50円ばっかりだったけどけっこうな金額だったのでありがたく頂き、その小銭入れも貰った。
それから1年後くらいにその祖父は病気で亡くなった。
で、小銭入れの横にファスナーがついていたのだが、
なにも入っていないと思っていたのでそれまで見なかったのだが、なんとなく開けて見てみた。
そしたら百人一首やらなんやら色々書いてある紙きれが入っていた。
そしてその中に「ヤザキヤ←○○好物」とあった。○○は私の名前。
当時私が冷凍のラザニアが大好きでよく食べてたのを見て、名前を覚えようとしてたらしい。
その気持ちにも一文字しか合ってないラザニアにもグッときて泣けた。


a_01.gif

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

嗚咽

678 :大人の名無しさん :03/09/07 20:40 ID:6jPyEKof

当事15歳の弟が13階建てのビルから飛び降り他界致しました。
両親の離婚で、就職を余儀なくされ・・きっと愚痴を言いたかった状況の中・・文句もいわず・・

そんな私は今年で33になり・・あれから18年が経とうとしています。

結婚後現在、4歳を迎える直前の娘に恵まれている中・・
昨日夢を見ました。。。

「姉ちゃんが買ってくれたクレアラシル、ありがとうな・・
 いっつも思ってくれてありがとう。。。
 ねえちゃん、身体壊れてるよ・・
 病院に行ってきな・・・」

最近弟の夢も少なくなっていたこの所で・・忠実に病院に行ってみました。
結果、大腸がん。。

先生いわく、後2週間送れれていても微妙だったとの事。
明日、手術ですが、自覚症状が無かった為・・
本当に不思議でもあり、弟に感謝しています。


弟が死んでしまった日・・
「私のお腹に戻ってきなよ!・・」
って毎日呪文のように唱えていましたが今日の出来事を通し・・・

いつも私を、見ていてくれている貴方に・・・

心からありがとう。



a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

思い出してホローリくる家族との思い出

319 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2001/08/24(金) 03:12

母に毛糸の帽子を編んだ。変な形になって、母はいらないと笑った。
中学生だった私は結構がっくりきてしまった。ちょうど遊びに
来ていた祖父が来て、俺がもらうよ、と言って持って帰った。
その祖父は私が高校生のときなくなった。
49日がすぎて祖母が祖父の品物を片付けているときに、私の
編んだ帽子を取り出していった。
「じいちゃん、孫に編んでもらった帽子だって行って、
ゲートボールするときかぶっていってみんなに自慢してたのよ」

じいちゃん、お小遣い貰うばっかりでなんにもしてあげなかった。
今、生きていてくれたらどんな帽子でも買ってあげるのに。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

◇ 心霊ちょっといい話 ◇

122 :本当にあった怖い名無し :05/01/23 16:39:09 ID:SehcZucX0

高校生の時、ケンカ別れした男友達がいた。
友達を介して誤解は解けたのだけど、お互い気まずくて卒業まで話はしなかった。
その後同窓会に出席してもどちらかが欠席していて会えず終いだった。

去年末その友達にあった。
なんかあの当時と全く変わってない彼。
向うから声をかけて来て、
「ずっと謝ろうと思ってたんだ。ホントにあの時はゴメン。」
そう言って仲直りの握手して別れたんだ。

お正月の同窓会の時、その彼が亡くなった事を聞いた。
11月に事故に遭い、ずっと意識不明で彼と仲直りしたその日に亡くなったそうだ。




a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

セピアな思い出∫泣ける話

114 :大人になった名無しさん :04/08/28 00:36

その人はいっこ上の先輩で同級生、後輩からも「たくちゃん」って呼ばれてた。
初めて話したのは小学校の運動会の時。俺の小学校は全学年ごっちゃまぜで行われる。
俺は青組だった。
その中に、明らかに体のバランスのへんな人がいた。
それがたくちゃん。

たくちゃんは障害で生まれつき身長があまり伸びない。「小人病」らしい(本当にこんな病名あんの?)
たくちゃんは初対面の俺らにも明るく話しかけ、同級生にも人気があった。
それを気に俺はたくちゃんと仲良くなった。
たくちゃんは俺んちの近くの団地に住んでいて、そこには小さな公園もあった。
そこは俺らの遊び場だった。ミニ四区やハイパーヨーヨー、ポケモン・・・・

学校が終わると、上級生も下級生も皆がそこに集まった。
たくちゃんは話がうまく、誰にでもやさしい初めて公園に来るグループにも積極的に話しかけてやる。
俺たちはかなり仲良くなった。
たくちゃんは中学に上がると、部活などで公園にくることも無くなって一年間ぐらい会わなかった。
やがて俺も中学にあがったが、なんとなく知らない上級生といるたくちゃんには話しかけづらく前みたいに楽しく話すようなことはなかった。

関係は変わったがたくちゃんの身長は変わらなかった。
中学の卒業式の時に見たたくちゃんは俺の腰あたりに頭があった。
そのうちたくちゃんは地元も高校に進学した。

一年後俺はたくちゃんとは違う電車で15分ぐらいのとこにある高校に進学した。
それからずっとたくちゃんのことなんて忘れていたと思う。
高1の二学期も、もう終わるかという頃、俺は地元の友達と遊んでた。皆で歩いていると、たくちゃんの通う学校の前に同級生らしき人とたくちゃんがいたが、様子が少し変だった。

たくちゃんが一人前を歩き、その他何人かが後ろを歩く
嫌な予感は当たりたくちゃんはそいつらに後ろから小突かれたり、チビだのと言われていた。蹴られたりもしていた。
俺は、心臓がかなりバクバクして何故か焦った。
どうしていいか分からなかった。
すると、一緒にいた俺の友達がたくちゃんのほうへ走っていって、後ろの奴にいきなりとび蹴りをした。
そのあとは、俺も参加してもうごちゃごちゃの大乱闘。

本当に奴等が許せなかった。
明るいたくちゃんがイジメをうけている、このことに本当動揺した。
悔しくて、許せなかった。

喧嘩は泣きながら向かっていく俺らにビビって相手が逃げた。大勝利。
この後、たくちゃんと久しぶりに少し話した。

2日後ぐらいに、10人ぐらいのDQNが学校帰りの俺を駅で待ってた。
何発か殴られて、MDと携帯壊されて金取られた
乱闘に参加したほかの奴等のとこにも来たらしい。奴等は俺の名前を知っていた。
何故かはすぐに予想できた。たくちゃんが話したんだろう。
けど、怒りとかは無かった。
親は腫れた顔見てびっくりしたが、大事にはせずその日はすぐに寝た。

そして、次の日たくちゃんは死んだ。
地元の文化ホールから飛び降りて。
遺書なんかはなかったらしいがたぶん裏切った俺らに合わす顔が無いと思ったんじゃないかな。
たくちゃん優しいから。
何で、んなこと気にしたんだよ。
脅されたんだろ?俺らの名前なんかいくらでも言っちゃえって。
そんなこと気にしあうような仲じゃないだろ、バカ。



a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

君が思い出になる前に。

110 :ほんわか名無しさん :2005/08/31(水) 22:13:02

ちょっと昔の話…
まぁゆっくりと聞いていってよ。

俺には昔からつるんでる4人の親友がいる。
そいつらは腐れ縁って言いたいほど常に一緒だった。
遊ぶのも、勉強するのも、ちょっとした悪事を働くときもなw
時には喧嘩もした。男5人もいれば殴り合いなんてコミュニケーションみたいなもんだ。
「ごめん」の一言が無くても時間が解決してくれた。

そうそうこんなこともあったなw
俺たちの中で唯一彼女がいる「シュウ」。でも彼女に全然かまわないで俺たちと遊んでいたらフラれたw
バカだよなw






111 :ほんわか名無しさん :2005/08/31(水) 22:15:07

夏だった…そのシュウが死んだのは。

アイツの趣味のバイクでの事故。
車の陰から飛び出してきた女の子をかわしたら反対車線のトラックと衝突。
しぶといことに女の子に「怪我無かったか?」と聞いたらしい。
女好きのアイツらしいよw そして病院へ搬送中に心停止。

病院に駆け付けたら伯母さんが泣いていて顔には白い布が置いてあった。
俺たちは泣けなかった。
死んだことを認めたくはなかった。
「おい!起きろよ!」って言ってもダメだったな…。

数日経って葬式当日
クラスメートたち家にが集まっていたが俺たちは行かなかった。
「俺たちの別れがこんな簡単なものなのか」って感じだったよ。

あいつの骨が墓に収められるのを物陰に隠れながら見ていた。
あいつの伯母さんが泣いていて伯父さんが肩を抱いていたのをはっきりと覚えてる。






112 :ほんわか名無しさん :2005/08/31(水) 22:18:14

墓の前から誰もいなくなったのを見計り俺たちは墓の前へ。

「こんなとこに入っちまうんだなぁ」
「そうだな…」
と暗く会話をした後は沈黙。

シュウとの思い出を思い出していた。
たぶん皆 同じ。
気付くと皆 涙を流していた。

その時後ろから「来てくれてありがとね」と声が聞こえた。
あいつの両親だった。

逃げようとしたその時、伯父さんが
「来ない事は分かっていたさ。たぶんシュウも来ては欲しくなかったはずだ」
と優しくて少し悲しい笑顔をした。

「息子はシュウは後悔してないよ。君たちと出会えた人生に。
兄弟のように育った君たちが他人と同じ別れじゃ嫌だよな。
でもたまにで良いから会いにきてやってくれないか?シュウと私たちに。」

俺たちは伯父さんの優しい言葉に返事が出来なかった。
したくても出来なかった。
涙が視界を邪魔して、鼻水が詰まって上手く話せなかった。
ただ「ゔん゙」と一言答えた。


明日はシュウの命日。
社会人になった俺たちが地元へ戻りシュウに会う日。
もちろんあいつの好きなマルボロとキリンを持っていく。
墓の前の集まった俺たちはいつものように飲み会になっちまう。

俺たち「5人」の友情は永遠だ。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

◇ 心霊ちょっといい話 ◇

11 :大好き :03/05/22 23:05

私が15歳の1月。受験を目の前にして、深夜から朝まで受験勉強を
していたとき。机の上においてあった参考書が触ってないのに
急に落ちた。溜息をついてそれを拾いに机の下にもぐったとき、
それが起こった。

1995年1月17日5時47分。
私の住んでいた地方は戦後最大の地震に襲われた。
ものすごい地響きといろんなものが壊れる音を机の下で聞いていた。
しばらくして揺れが収まり、机から這い出すと
机の向かいにあった窓ガラスが椅子の背もたれに刺さり、
机の上はガラスと倒れてきた本棚でぐちゃぐちゃだった。
わたしは拾った参考書をみて、驚いた。

参考書だと思っていた本は、祖父母に前日買ってもらったばかりの
日記帳。






12 :大好き :03/05/22 23:05

鍵付きで革張りの、ちょっと高価なものがクラスで流行っていて、
私も例に漏れず欲しくなり
(今となってはどうして欲しかったのかもわからないけど)
買ってもらったものだった。
「あれ?」とおもって中を開くと、最初のページに

「生きていることをただ感謝し、毎日を大事にせよ」と
僧侶だった祖父の達筆な言葉が書かれていた。

はっと我に返ったとき、母が血相を変えて私の部屋に来た。
机の下で丸まっている私を見て、無事な姿に大泣きしていた。

その2時間後。祖父母が地震で亡くなったと叔父からやっと連絡があった。
ところが、亡くなっていたのは布団の上ではなく、二人とも
本堂の仏さまの前だったと言う。

後から聴いた話で、祖父母は、受験前の私のために、
毎日朝5時半ごろから仏様に読経をしてくださっていたのだ。
あの日記帳を落としてくれたのは、祖父母だったのではないかと
おもえてなりません。

そのことがあって、私は受験高校を変更、現在は看護婦をしている。
生きていることを感謝し、毎日を大事にしたい。

日記という名の手紙を毎日日記帳につづり、祖父母に供えて手を
あわせています。
今年で8冊目。



a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

たまにゃ家族で

425 :呑んべぇさん :04/12/15 19:28:25

何年か前に親父と二人で居酒屋で呑んでるときカウンターの隣の人が親父に
親子なんですか?と聞いてきた。
親父が、そうです。と答えると
その人が自分にも息子がいてまだ小学校にも行ってないけど
いつか一緒に酒を呑むのが夢なんだと羨ましそうに語っていた。
その話を聞いている親父がなんか嬉しそうな表情をしていたのが印象深かった。

先日、俺にも息子が出来た。
まだ、首も座ってない息子だけど、いつか一緒に酒を呑む日が来るんだろうな。
そのとき、俺はどんな気持ちになるんだろう。




a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

涙が出るほどいい話

203 :癒されたい名無しさん :04/11/21 21:51:33 ID:hCJPqqua

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。
 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。




a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

涙が出るほどいい話 2粒目

581 :癒されたい名無しさん :05/02/01 18:15:43 ID:5m9CY41l

貫きたい想いがあったとしても人は状況によって簡単に想いを変えてしまう
だから私は今まで人を信じたことなかった

幼い頃、たまたま旅行に来てたホテルで火事になった。
煙で前も見えず、聞こえるのは叫びだけ。
長年つれそった妻でさえも置いて逃げる人
自分の命が大事で子供さえも突き飛ばし先に逃げようとする従業員
誰一人として自分を優先してるとしか思えなかった

恐かった。
迫りくる火よりも人の本性が
そんな想いを隠しながら生きてきた。
誰も信じず一人で生きてきた。


その中で大地震は起こった
忘れもしない

次第に大きくなる揺れ、倒れる柱、割れるガラス、
立つことさえもできない、何が起こっているのか考える暇をあたえない
気が付くと倒れてきた柱によって私は下敷きになってしまっていた。

あぁ、終わりだ。
生きたとしても恐かった。
また人の本性を見てしまうのが‥
助けなんて期待しない。
ただ死ぬのを待っていた。
そんな時、声が聞こえた

「待ってろ!今、助けてやる」
隣の家の人だった。
見ると右手にヒドイ傷を負っている

彼は両手で柱を持ち上げた。
信じられない。
その人は大工だ。
そんな事したら傷がヒドクなり右手が使えなくなる

「手が空いてるヤツ手伝ってくれ!」
彼はそう叫ぶと人が次々に現われた

皆、傷を負っている。
知らない他人を助けるために自らを犠牲にしてまで、かけつけてくれた。
幼い子供ですら来てくれた。

助けだされた私はお礼を言い謝った。
そうすると彼は告げた

「ははは!人の手はな、守る為にあるもんだ!ははは!」

涙が出た。
周りを見ても 息子をカバって下敷きになってしまった人
妊婦にパンを笑顔で渡す食べ盛りの幼い子供
犬でさえも必死になって助けようとする人々。
火が上がってる家に飛び込み助けようとする人

身内どころか他人なのに必死だった
一人も…誰一人として自分を優先にしてる人などいなかった

大人になった私は、消防士になった。
自分のこの手で沢山の人を助けようと思う。





a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

心霊ちょっといい話 

225 :名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 23:23:15 ID:WBTFdC8g0
かーちゃんが亡くなってから5年ほど経つんよ。
んで、夕飯とかは俺が準備してんだけど、いつものように準備してたら、
親父が急な会議で夕飯がいらなくなってね。
で、一人でご飯の準備してたら、ものすごく寂しくなってさ。かーちゃんの
ご飯が食べたいなぁって思ってたら、涙が止まらなくてね。
魚が焼けたんで、鍋つかみをつけて魚を焼くのグリルを引っ張ってたら、
指先に何かが当たったんよ。何か、細かいものが。
鍋つかみを振ったら、小さな緑色の宝石が出てきた。
状況的に考えて、指輪の宝石が鍋つかみの中で取れて、それが残ってたと思うんだけど、
うちには指輪つけるような人は、かーちゃんしかいなかった訳で。

この鍋つかみは、5年間ずーっと使ってるやつだから、今まで気づかなかったのが不思議でさ。
なんとなく、かーちゃんが寂しがってる俺を元気づけようとしてんのかなー
なんて思ってさ。

かーちゃん、がんばるよ。



a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

セピアな思い出∫泣ける話2

362 :大人になった名無しさん :2005/10/01(土) 22:55:53

当時、私には色々悩みとかがあった。
将来に関わったりするようなすごい重要な悩みではなかったが、
あまり精神面の強くない私とって、他の人からすれば小さな悩みかもしれないがけっこうこたえていた。

私には一人の友人がいた。
その友人は問題解決の案を出したりしてくれるわけではないが、いつも私の話を聞いてくれた。時には何時間も。
彼女も私なんかに悩みを打ち明けてくれたり、何度も一緒に街へ出かけてくれたりもした。
彼女といた時間は本当に楽しかった。
一方的に思っていただけかもしれないが、いつしか私にとって彼女は親友と呼べる存在になっていた。

だけど別れの時は来てしまった。
彼女は長い間海外へ行くことになってしまった。
成田へ向かう電車の中、また将来会えるしいつでもメールや電話ができるから何も悲しむことはない。
その時は悲しみはみじんにも感じていなかった(気がする)。
性格のいい彼女には私以外の友人がたくさんいて見送りには何人も来ていた。

私とその友人達とは深い関わりもなかったため私はその友人達と話す彼女とあまり話すことができなかった。
ただ彼女が荷物を預け終えゲートをくぐろうと背を向けた瞬間
「本当にもう行ってしまうんだ」と感じ、
私は彼女の名前を呼んだ。
そして今までため込んでいたものが一気にあふれ出した。
私は泣いていた。
そして、ありがとうと言いたかったが泣きながらではとても言うことができなかった。
すると彼女は涙声で私のことを抱きしめてありがとうと言ってくれた。

違うよ。
本当にありがとうを言いたいのは私のほうなんだよ。



しばらくぶりに彼女の声を受話器で聞く。
また会えたね。





a_01.gif

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

いい話

9 :名無しさん@明日があるさ :2005/03/27(日) 19:16:02 私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。

ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。

それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。

その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

72 :1 :04/05/04 03:22 ID:6QqozloT

俺が今よりも馬鹿で、世の中に絶望してて、どうしようもなく後ろ向きだった頃、友人とカナダに旅行に行った時の話。

現地に着いてホテルのチェックを済ませた後すぐに当初の目的であるスノボーを楽しむ為雪山へ。
友人4人とギャーギャー言いながら滑ってると、現地のおばさん(50代位)と接触事故。
完全によそ見してた俺の責任で怪我させてしまった。
すぐに友人が救急隊を呼んで事情を説明をしておばさんを病院に連れていくことに。
診断結果は左足首の捻挫及び左肩の打撲。
おばさんはずっと号泣してるし、面倒臭せーなーと思いながら英語の喋れる友人に通訳してもらいながらひたすら謝った(俺は[ソーリー]の一点張り)。
おばさんの旦那さんも病院に来たと聞いたので、一応そっちにも謝っとくかって事で病院のロビーへ。

息をきらしながら受付で病室を訪ねてたおじさん(旦那さん)は俺を一目見て
「!!!!!?」
何故か驚愕の表情。
いっぱいいっぱいになってた俺はそれをスルーして適当に謝ってた。
そしたらおじさんはいきなり俺の肩をガッシリ掴んで何か英語でまくし立てて軽くパニクってる。






73 :2 :04/05/04 03:23 ID:6QqozloT

友人に通訳してもらうと、
「もっと顔を見せろ!」「ああ神様!」とか言ってるとの事。
「ハァ?」な俺は頭のおかしいおっさんだと思い軽くウンザリ。

とりあえず病室へってことで少し落ち着いてみんなでおばさんの元へ。
その間もおじさんは俺の腕を掴んだまま離さない。
「あ-相当怒ってるな-」「もう一回ちゃんと謝っとくか」と思い、病室に戻ってから二人を前にして改めて頭を下げた。
[金とか要求されるとされるとこっちも堪らない。誠意ある謝罪(のフリ)で切り抜けよう。]
そんな事しか頭にない俺は本当に腐ってたと思う。

「落ち着いて聞いてくれ」
おじさんの話を例によって友人に通訳してもらう。
「事故の事は別に怒ってない、悪いのは完全にこちらの方だ。」
うわー!お人よしだねー!俺ならしっかり金取るけどなー!
でもまあ助かったかな?丸くおさまりそうな状況に俺は心の中で舌を出した。

「そんなことより聞きたいことがある。」
「君の顔をもっとよく見せてくれ」
ずっと下を向いていた俺は二人に近づいてちゃんと顔を見せた。そしたらまた、
「おお神様!」とか
「なんてこと!」とか言って泣いてんの。






74 :3 :04/05/04 03:25 ID:6QqozloT

どうやら俺が誰かに似てるらしい。

「君は私たちの息子にそっくりだ!」

その後に聞いた話に今度は俺がビックリさせられた。
マークイン夫婦(おじさんとおばさんの事ね)には息子さんがいたらしい。
息子さんは雪山が好きで学校の登山サークル(って言うのかな?)に所属してて、よく雪山に登ってた。

それで90ヵ月前に遭難。
マークインさん達も大金はたいて捜索隊に探してもらったんだけど、遺体さえ戻ってきてないらしい。
絶望して生活も荒れてマークインさん達も喧嘩が絶えなかったらしい。
それで全てに嫌気がさしたおばさんは最近自殺未遂を繰り返していておじさんも悩んでたらしい。
実際おばさんの手首には無数の躊躇い傷があった。

それで今日もおばさんは雪山で凍死自殺する為雪山まで来てたらしい。
息子さんのスキー板で最後の思い出に滑っていたところ、息子にソックリな日本人を発見。
無意識にフラフラとこちらに近づいてしまい、結構なスピードで滑っていた俺と接触してしまったらしい。
どれだけ息子を愛していたか、息子を失ってどれだけ悲しかったか、死に顔さえも見れずどれだけ辛かったか、マークインさん夫婦は話してくれた。






75 :4 :04/05/04 03:30 ID:6QqozloT

話を聞いてて俺はいつの間にかボロボロ泣いてた。

俺には親がいなかったから。
物心ついたときから両親蒸発してて、俺は爺さん婆さんに育てられた。
二人とも俺に優しかったが、俺は歪んでいった。

「どうせ両親のいない人間なんて幸せになれる訳無い」ずっとそう思ってた。
「親なんていてもいなくても同じ。どうせほかの親もそう思ってんだろ。」そんな気持ちがいつも漠然とあった。

でもマークインさん夫婦の話を聞いて本当の親心を知った気がした。
でもその場ではどうしていいかわからずにワンワン泣くしかなかった。

自分の親の事を考えた。
マークインさん達の事を考えた。
息子さんの事を考えた。
俺の事を考えた。
クソみたいな自分が恥ずかしかった。
頭の中がグチャグチャになった。
またワンワン泣いた。


あれから二年たったけど、今でもマークインさん達とメールのやりとりは続いている。
あれから俺も少しはまともになった気がする。
今は年に一回二人に逢いに行くのが楽しみでコツコツ貯金もしてる。英会話も習い始めた。

おじさん、おばさん俺をどん底から救ってくれてありがとう。
あなた達との出会いが俺にとって最高の宝物です。


a_01.gif

セピアな思い出∫泣ける話

40 :大人になった名無しさん :04/05/02 04:05

ふと気がつけば、もう随分と昔の話。

学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。
試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の二つを買った。
甘いものが好きで子供舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。

当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養していた。
衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。

「うん、美味いな」
「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う?」
「……いや、いい」

オヤジはメロンパンを二欠片しか喰ってくれなかった。
ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ二個のメロンパンを平らげた。

それから数ヶ月。
転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。
通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。

そこで初めて知った事が二つ。
オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかったという事。
あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、
たった一片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずであるという事。
オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。

メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。
「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。
思い出して、涙が止まらなかった。

一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。
俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

【吐くほど】一番辛い思い出【泣いた日】その2

179 :可愛い奥様 :2005/04/07(木) 02:04:37 ID:yfVUibL7

私を可愛がってくれてた祖父が死んでもうすぐ四十九日。
息を引き取った時よりも出棺で泣いた。
両親が共働きだったので保育園の送り迎えから入学式、卒業式、何から何まで
祖父が面倒みてくれた。両親より親に近い感じ。
旦那を初めて紹介したのも両親より先に祖父。
出産して初めて子を抱いたのも祖父。
怒って平手打ちしたのも祖父。
涙もろい祖父。
困った時は必ず力になってくれた祖父。でももういない。
小さな箱に入って帰ってきたけど、話しかけても返事はない。
毎日息子の成長を報告する話し相手がいない。
じいちゃんが教えてた「オジィー」ってやっと言えるようになったんだよ。
聞こえてるかな?
ポッカリ心に穴が開く、って本当にあったんだね。


a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

もう一度だけ一緒に走りたかったアイツ

474 :774RR :05/01/25 01:53:56 ID:an60qRpV

おーい、俺大型とったぜ。約束やったろうが!
お前が、大型はいいよ いいよて自慢しよったやろーが
何年もそんな話聞かされたら、おれももう一回乗って見よう
大型取ろうて思うやろ。 
俺はバイクで死なん、安全に気を配る、サーキットも走る、
夏でも革ジャン、ブーツ、フルヘル、死ぬわけが無い。よう
いいよったね。       ウソやんか
ケーサツから電話あって病院行ったら、、、、、、、、、、
1回ぐらい兄弟で走りたかったな。

テーマ:高校生日記 - ジャンル:日記

【恋愛】戻りたいあの日ありますか?【感動】

790 :名無しさんの初恋 :04/06/02 17:25 ID:Rubado+s

「精一杯生きて」って言われた時、何にも言わなかっただろ、俺。
いや、何にも言えなかったんだろうな。ホント、無理。
何で死ぬお前に俺が励まされてたんだ?逆だろ、普通。
俺が励ます方だろ、常識的に。そうだろ。
何、自分の命勝手に輝かせてんだよ、短く燃え尽きたりするなよ。
もっと細く長く生きられなかったのかよ!
そんな遺言みたいなこと、俺に言うなよ!バカジャネーノ
……
まぁ、たいした事はないけど、お前には言いたいことがあるんだ。
いなくなってからも増えつづけてんだ。増える一方だよ。
一緒にザリガニ取った用水路は、今は蓋されてるよ。
ジャリ山にはな、今は新しい病院がたってるよ。
お前の欲しがってたカバンな、今じゃ、トンデモナく流行おくれだよ。
あ、お前の兄貴な、…まぁいいや。
そんなこんなだよ。まだあるけど、長くなるから。
話したいこともそうだけど、聞きたいこともあるんだよ。
なあ、俺は精一杯生きれてるか?
今は、それが一番聞きたい。




a_01.gif

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

プロフィール

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。